ピアノ [休日の過ごしかた]
今日は、母の最後の生徒さんのピアノ演奏を聴きに行きました。小学生からの頃から習いに来られて、社会人になってからもずっと通って下さった生徒さん。
5年前に母が認知症発病し、もう教えることは出来ないから… と、数度お伝えしましたが「もう少し教えていただけないでしょうか?」と 有難いお返事をいただき、先月まで来てくださっていました。
認知症発病して割とすぐに、母は楽譜が読めなくなりました。元々声楽の人なのでピアノは大して弾けないのですが、それでも少しは弾けていたピアノも弾けなくなり、どうやってピアノを教えるのだろうか?と心配になり、極力私もレッスンに同席する様にしていました。
生徒さんは大人なので、教えなくても楽譜を読み、どんどん弾き進められます。そこで横から母が、例えば絵画的なこと、情景的なこと、色であるとか音であるとか、イメージを伝えて行きます。そうすると、生徒さんはその母の言葉をそのまんま、なんのフィルターもなく すーっと心に入れ、音となって奏でられるのです。簡単な言葉ひとつで、音があれだけ変わるでしょうか…
正直驚きました。こんな世界があるのだと…。情もあるでしょう、でもそれ以上に感性の共鳴という 素敵な世界が織り成されていたのです。私の入る隙間はもちろんありませんでした。
母と一緒に創り上げた最後のレッスン曲の演奏の場を作ってあげたい、という願いを、私のピアノの先生のご尽力で叶えることができました。先生には影になり日向になり支えていただき、感謝してもしきれません。
実は母は4月初旬に救急で入院をして、そのまま自宅には戻れなくなってしまいました。認知症も重度となり、今は終の住処探しの途中で、ショートステイで繋いでいます。
その事を、母の生徒さんは伝えていませんでした。きっと母が聴きに来ると信じて疑っていらっしゃらなかったと思います。
今日のために、車椅子まで購入して準備していたのですが…
演奏が終わってから生徒さんに伝えました。
もう母は教えることは出来ない、と。涙涙…でした。もちろん私も。
約50年、たくさんの生徒さんを教えた 母の最後の生徒さん 本当にありがとうございました。娘以上に母に幸せな時間を作って下さった事は、間違いありません。いい思い出として、ずっと心に残ってくださったら幸いだな と願っています。
初めての演奏会で不安でしょう、と一緒に出演して演奏してくださった、私のピアノの先生への花束も。